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世阿彌研究會19年3月26日火振り返りと考察

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 世阿彌研究會

 1 19 9 年 年 3 3 月 月 2 26 6 日( ( 火) )

 振り返りと考察

  目次 一、河村博重先生のお話 1~5 頁

 1 1 、「面白能楽倶楽部」2 26 6 號について

 2 2 、相國寺と能について

 3 3 、世阿彌と能の歴史?夢幻能について

 4 4 、修羅物と応仁の亂について

 5 5 、五番立や 附 祝言について

 6 6 、式楽としての能について

 7 7 、『人は死なない

 ある臨床醫(yī)による摂理と霊性をめぐる思索』について

 8 8 、能面

 般若

 痩男

 鼻瘤悪尉

 二、『世阿彌能楽論集』「花鏡」の講読

 6~20 頁

 1 1 、秘義に云わく、「能は若年より老後まで習ひ徹るべし?!? (232 頁 頁 6 16 行目) )

 2 2 、「しかれば、當流に、萬能一徳の一句あり。」4 (234 頁 頁 5 5 行目~5 235 頁 頁 2 12 行目) )

 3 3 、「一、時事の初心を忘るべからず」とは以下6 (236 頁 頁 2 2 行目~7 237 頁 頁 0 10 行目) )

 4 4 、「風姿花伝年來稽古より別紙ニ至ル迄ハ、此ノ道を花智ニ顕ワス秘伝也?!挂韵? (238 頁 頁 1 1 行目~末) )

 5 5 、次回の予定と行動範囲について

 三、感想および考察

 21 頁

 參考文獻?資料一覧

 22~23 頁

  一、河村博重先生のお話

  1 1、 、 「面白能楽倶楽部」6 26 號について

  3 月の世阿彌研究會では、冒頭で河村博重先生より「面白能楽倶楽部」の 26 號に関するご案內をして頂いておりました。

 具體的には、今までの舞臺や色々な事と鎌田東二先生の特集に関することやこれからの舞臺のご案內、愛犬新五郎ちゃんの近況に関する話題でした。

 2 2 、相國寺と能について

  今、3 月 24 日から 6 月 4 日まで、相國寺で特別展とかやっています。

 足利義満とかが開いて、「鳴き龍」というのがあるのです。

 手を叩いたら、龍が響くという。それとか「八方睨みの龍」。

 「言祝ぎの美」というのが 4 月 24 日から 6 月 23 日と 7 月 6 日から 9 月 16 日までです。

 この相國寺というのは非常に能にゆかりのある場所で、相國寺の配下のお寺が金閣寺とか銀閣寺なのです。それで相國寺を慕っていたのが今何かと話題の若沖さんなんです。

 若沖の動物の絵(動物採絵)とかがある。

 「相國」というのは偉い人がいるところを「相國」というのです。

 3 3 、世阿彌と能の歴史?夢幻能について

  世阿彌は、英才教育を受けている訳ですよ。歌道の方も、 それとか禪のことも非常に詳しいし、そのお父さんの観阿彌という人は今でこそ能 1 番 1 時間何分とかだけれども、昔は 1/3 か 1/4 くらいの tempo やったのですね。

 もっと tempo がよかったみたいなんです。

 江戸時代になってから、式楽になってゆっくりした tempo になったのですね。

 それまでは割と tempo が速かったのです。

 だから、曲舞とかいうのを観阿彌が取り入れたのは今で言うたら rap みたいなものなのです。

 世阿彌は、それと後、夢幻能という夢現(xiàn)の中に出て來るというのを考えたんです。

 だから、あの世の人が出てきたりすることが多いです。

 『源氏物語』『平家物語』『古事記』『日本書記』『伊勢物語』とか。

 だから世阿彌の能というのは、あの世からこの世を観ているということろがあるのです。

 能面もそうなのです。

 この前『野宮』をさしてもろたのですけれども、面を著けていたらあの世からこの世を観ていると。

 この前、『胡蝶』というのを舞わせてもらったのですけれども、それは、蝶々になったりあるいは狐になったり、龍神になったり天女になったりという。人間だけではないんです。

 だからまぁ、不思議なんです。だから輪廻転生を繰り返しているという風に考えられていたんです。

 4 4 、修羅物と応仁の亂について

  特に修羅物というのは、戦った者はあの世でまた戦いを続けていると。

 ただ、室町時代の中期からになって、応仁の亂というのがあって、その當時の京都の人間は 10 萬人いたんですけれども、応仁の亂で 8 萬 2000 人が亡くなっているのです。

 だから戦いに従事して戦いに加わったお父さんとかお兄さんがあの世で苦しんでいたら困るので修羅能の方は全部 happy end にしてある訳です。

 念仏を唱えたから助かったとか、そういう風にしてある訳です。

 5 5 、五番立や 附 祝言について

  それで今は五番立で「翁」があったり「神」さんの曲、「修羅」の曲、「女」の曲、現(xiàn)在進行形の曲、そして「鬼」とかそういうものの曲で五番立なんですけれども、それが終わったら「附祝言」と言ってお祝

 いの言葉を言って、めでたし、めでたしで終わるんです。

 だから映畫で言うたら最後は「フーテンの寅さん」みたいなものでどんな物語があっても最後は青空で終わるんです。

 6 6 、式楽としての能について

  能は江戸時代に式楽になったのです。

 家康とかなんとかが。そこで隨分堅苦しく。

 だから大きく 2 つの point があって、1 つは大名のお抱え能楽師になっているところもあったのですけれども、クーデターを行わせないために能を習わせて、お金を使わせたというのが 1 つあるんです。

 それでもう 1 つは方言というのがありますでしょう。

 何を言うているのか分からないので、全部能を習わせて「何々で候?!工热垦匀~が通じるようにしたのです。それで當時の家元が祿をもらって國家公務員になったのです。

 大名 class の祿をもらっていた訳です。

 それでうちの家元とかが出來て「うちの型はこれです?!?、「うちの型はこれです。」というのがきっちりなった訳です。

 7 7、 、 『人は死なない

 ある臨床醫(yī)による摂理と霊性をめぐる思索』について

  今日はね、お薦めの本を持ってきました。

 不思議な本です。

 この人は矢作さんという人でですね、大學の集中治療室とか病院の救急で何萬人かを看取った人なんですけれども。

 この人も山に登って、意識がなくなって、上から空から自分を観ているようになったりということもしている訳ですけれども。臨死體験ですね。その人が書いてはる訳ですね。

 つまり輪廻を繰り返すというようなことを、お醫(yī)者さんがそれを書いている訳です。

 なかなか面白い本です。

 8 8 、能面

  今日はですね、ちょっと能面をお見せします。

 「般若」という。

 「般若」というのは Sanskrit 語で「悟っている」という意味ですけれども、少し「悟っている」。

 「般若」には 3 種類あって、「赤般若」、これは「道成寺」に使うことが多いです。

 「白般若」というのは「葵上」で、「黒般若」というのは「安達原」です。

 目から上が泣いていて、目から下が怒っているんです。

 これは女なんです。

 それで、髪の毛が亂れているというのは心が亂れている訳です。

 好きな人を取られた jealousy の極みの顔なんです。

 だから結婚式の時に、白い綿帽子を角隠しというのです。

 だから女の人には角があるみたいな、だからこんな顔にならないようにみたいな。

 男の人は彼女をこんな顔にしないようにと。

 それでこれのもう 1 つ特殊な面が「安達女」といって「安達原」という曲にたまに使うことがある。

 非常にちょっとこう陰濕な。

 こっちはね、舌が出ているんです、小ぶりで。

 この材料は檜です。雅楽の面は桐なんです。

 桐の方が軽いんです、檜の方が重い。

 それで後、これは「霊女」という女面ですけれども、亡くなった女の人で「求塚」とかで使う訳です。

 痩せこけているんです。氷見と言われるお坊さんの作品が多いです。

 それで痩せこけている男は「痩男」。

 1 つだけが男性。

 これは関西セミナーハウスで鎌田さんと一緒にやった「鼻瘤悪尉」っていうんです。

 「悪」という字を當てていますけれど、「悪」というのは悪いということではなく、power があるということです。それでこの「鼻瘤悪尉」を鎌田さんとの能舞の中の「サルタヒコ」に使ったのです。

 悪そうな顔をしていますね。

 いつ頃に制作されたんですか。

 これはそんなに古くはないと思いますよ。ここ 50 年くらいですね。

 凄いな、これは。貫祿がすごくありますね。

 裏はこんな感じで、漆が塗ってあるんですね。

 ただ、かぶれる人もいるのでね。

 それで真っ直ぐに著けられるように、昔はなかったのですけれども今は cushion みたいなのを頬っぺたと頭に著けるのです。なぜ cushion を著けるのかというと、cushion を著けると聲の通りが良くなるのです。それでペタッと著けると臺詞がなかなか聞こえにくい。

 それと橫にこういう風になっているのは汗をかくので汗を橫から流してあげるようにしているのです。

 裏で見ると、みんな滑稽な顔に。笑っていそうな。

 持てるのは耳だけなんです。

 『安達原』は「安達原の黒頭」で、髪の毛を少し垂らして、蝋燭をこうやってやりました。

 何か頬がこけているというのか。

 今日持ってきたのは「執(zhí)心」というのか。

 みんな怨念を抱えているとかそういう風に。

 二、『世阿彌能楽論集』「花鏡」の講読

  1 1 、 秘義に云わく、「能は若年より老後まで習ひ徹るべし。」2 (232 頁 頁 6 16 行目) )

  ここの前の段がですね、謡を書く人の曲の作り方っていうのが論じられていて、その point が「聲を忘れて曲を知れ?!埂盖蛲欷普{子を知れ?!埂刚{子を忘れて拍子を知れ。」というようなところに 1 つ pointがある。

 そして、その最後が「奧段」に入って、そして、その「奧段」で師匠の言うことをよくよく聞いて、蕓道を収斂していくことだと言って。

 「老蕓」とは「老年蕓」ですね。

 この前韓國で「老年哲學國際會議」っていうのをやってその時に能のことも。老年における踴りの問題とか、西洋だったら若さが非常に重要になるんだけれど、日本あるいは Asia の場合は、老體がどういう蕓能的な意味があるか。或いは神的なものの顕現(xiàn)というものと翁と老とはどう関わるかみたいなことを発表して、世阿彌の事も少しふれましたが、能は老後の風體みたいなものを非常に大事にする。そこが 1つの大きい特徴で、老體が一番神格化された姿が翁になる訳ですよね。

 その老體の帰結というものが、簡単に言えば「控え目にする」 「少なくする」。動きを少なくすることで。

 しかし、その聲、謡の方はですね、非常に聴かせる內容を持っている。

 聲を基にし、舞いを後にするという風なことを「先聞後見」や「舞聲為根」と言いましたよね。

 聲を基として舞をそれに合わせてやっていくという風なことですね。

 その原則がここにも適応されていて、聲を大事にしよう。

 謡を大事にしなさい。なぜならば、歳をとればとる程、聲の殘聲が磨き抜かれたものになってきて、非常に面白き感聞がある。

 その面白き感聞の聲=老聲ですね、老聲というのは生聲が盡きて、橫縦また両方のものが加わって磨き抜かれて行って、大変味わいの深いものがある。もののあはれを感じさせる。

 そういう風な聲を 1 つの手がかりにして、幽玄というのか妙趣という風なものを顕現(xiàn)させていくべきであるという。

 それを老後に習う風體という風にしていくべきだ。

 つまり聲を中心にして、舞いの方は「控えめ、控えめ」にしていく。

 そして老蕓は、老體?女體というこの 2 體の物まねが非常に重要であって修羅のような激しい動體の動きというものをあまりしないようにしていく。

 身の動きは七分動で「抑えめ、抑えめ」にしていく。

 これが老後の蕓態(tài)であるということになります。

 これは生理學的な法則には適っている訳ですよね。

 老人の動きは speed 感はゆるゆるとして來るのは當然だし、立ち居振る舞いは子どものように素早く出來る訳ではない。

 だからそろりそろりという感じになるのだけれども、そのそろりそろりというものの中に風情というものがにじみ出てくるように感じさせるのは謡の技がある。

 謡の技が渋く味わい深いものであれば、動きが少ない程、その辺の環(huán)境というのか「情趣」というもの

 が良くにじみ出て來る。

 この辺の balance を考えて 40 歳以後の、若者のようにやっているのでは駄目だ。

 笠井亮は駄目だということですね。

 若い頃と同じようにやるのではなくて、何か違う振る舞いを。

 ちょっと変わってきましたけれどね。

 そうですか、笠井さんを批判的に言うのは問題がある。

 いつぐらいの笠井さんを観たのが最期ですか。

 そうですね「ばか野郎。」「いい加減にしろ。」みたいなことを言った時。

 だいぶん前ですね。

 笠井亮さんという舞踏家が、良く動くんですよ。

 ものすごく身體の運動量が。

 そういうものは、所謂、西洋の美學は青年のように、そういう風な演出をするけれど、老體の動きというものをどう掘り下げていくことが出來るかという観點があっても良いということですよね。

 それは日本の舞踴の中には老年舞踴とか老體舞踴のようなものが特に能の中に顕著に表れて來て、そしてそれ以降の日本舞踴の中にも「老いと踴り」ということがね、大きな theme になってきて日本舞踴も、80 歳や 90 歳になっても「武原はん」にせよ、「井上八千代」にせよ、100 歳になっても舞っていた。

 100 歳になっても舞っていますね、先々代とか。

 そういう中で、また 1 つの「美」というのか「妙」というものを表現(xiàn)するような、そういう部分もあると思うんですね。

 この前ね、玄祥さんに會ったんですよ。

 それは 3 月 20 日、ちょうど 1 週間ほど前ですね。

 梅原猛さんのお宅に行ったの。

 お焼香を上げたんですよ。息子の梅原賢一郎さんと親しいので。

 お宅に行って般若心経を唱えて、笛を 3 つ吹いて、巖笛、橫笛、法螺貝を吹いて。

 それで賢一郎さんと奧さんに色々お悔やみを言って話しをしているところに玄祥さんがやってきたんですよ。

 梅若玄祥さんがどうしてもお參りをしたい。

 それで、玄祥さんとあわせて皆さんで 1 時間くらい話していた。

 それで河村さんと一緒に世阿彌研究會を 10 年以上やっているんですよ、河村能舞臺でね、やっているんですと言ったら「ああ、そうですか?!?。

 それで河村さんに玄祥さんの楽屋裏の光景をよく聞いているんですよ。

 彼は內弟子で、師匠の幽雪さんは非常に厳格で、冗談 1 つも言えないようなピリピリとした感じの楽屋というか能の演能の前なんだけれども、玄祥さんのところは凄く明るくて、humor があって朗らかで、寛容というのか大らかなという風なのは聞いているんですけれども「その能役者によって隨分違うんですね?!工妊预盲郡椤袱饯Δ胜螭扦工??!工撙郡い胜长趣颉C姘驻盲郡扦工?。

 六郎先生が、信仰も深くて、比叡山とか何とかのをしてはって胴著といって裝束になる前の下著みたいなものがあるんですよ。

 それには全部御朱印がありました。へぇー。

 玄祥さん。それで守ってくれてるというか。

 でもヘルニアで腰が隨分と痛いそうで「膝が悪いんですか?!工嚷劋い郡椤赶イ袱悚胜?。」と。

 「腰」。だからその起居、座って立つという動作ができない。

 ただ、謡の方は出來る訳ですよ。

 だからここの「老體」で言えば、身體の、動きが少なくなっても、謡でね。

 だから『井筒』とか観ていても、居グセとか座っていてもほとんど床幾なんです。やる時は。

 それからね、玄祥さんが非常に面白かったのは、玄祥さんのお家というのは元々「橘」を名乗っていたそうなんです。

 その「橘」で「丹波」出身だそうですね。

 今でも家の墓とか元々は「丹波」だと。

 その「橘」が実は「秦」なんだと。

 だから自分の本姓は「秦何とか」という名前を名乗るんだと。

 それを聞いて非常にびっくりして、「ええー、秦なんですか。」って。

 じゃあ世阿彌も「秦元清」とか言っていたから、その「秦」というのは梅若家とどういう繋がりがあるんですかと言ったら「実は、橘だ?!工妊预盲皮饯伍伽桨矔r代くらいに侍にもなってその頃に「梅若」を名乗るようになったと。だから鎌倉時代から「梅若」と名乗るようになって、その丹波から、安土桃山になるけれど明智光秀にも付いていた。うん。

 梅若家は古く、今の六郎玄祥先生は 56 世なんです。

 今の家元は 27 世なんですね、観世清和さんの。

 そっちの方が単品の人がいたかもしれないけれど、古い。

 梅若の方が。はい。56 世なんです。

 ということはどういうことですか。

 今の宗家は、観世元滋の子孫ということになりますよね。うん。

 世阿彌の甥ですから。世阿彌の甥の子孫ですよね。

 世阿彌の直系はもういないので。

 元雅で切れているから。世阿彌の甥の元滋のずっと子孫が今の観世清和さんになりますね。それが 26世を。元重が初代だとして名乗っているのかどうかは知りませんが、いずれにせよ 20 何代ですよね。

 とすると 50 はその倍ぐらいということは、奈良時代からやっぱり今の「橘」から數(shù)えているということじゃないですか。そうですね。

 じゃあ 56 世は、奈良時代ですよ。うん。

 名のりを、1 世をあげているのは。

 家元が大事にしている名前が「元」という字があるんです。

 先代は「元雅」でその弟が「元昭」なんです。

 あと「清」という字も非常に大事にして、「元清」というのを非常に大事にして、今の九郎右衛(wèi)門先生の本名は「清司」なんですよ。うん。

 だからそういう、非常に大事にしているという。

 それでね、驚いたんですよね。

 ということは世阿彌の家が表に出てくるのは観阿彌の頃なんですが、世阿彌自身は、自分を「秦元清」

 と名乗っている。

 もちろん秦氏は奈良時代から「秦河勝」の時代からずっとあったので。

 かなり古いことは言うまでもないんですけど、「橘」になって、56 世になっているということは辻褄が合うことは合うわね。

 橘諸兄みたいな大臣になった人が初期の段階だから。

 非常に面白いですね、梅若家も。そうですね。

 その梅若家が観世に付いたということですか。

 僕も昔聞いていたのは観世のツレ家が梅若家だったのではないかという。

 ツレ家って。

 シテとツレというのがあって。

 シテの相手方をやっていた。ある時期。

 ワキではなくて。

 シテのツレ。

 それとか凄く六郎先生のところは、今の六郎先生は凄く斬新なことに挑戦される方で新作能とか『空?!护趣ⅰ菏腊洝护趣翰恢稹护趣?。

 他の何十曲と?!杭t天女』もやったね。色んなことに挑戦されているという。

 うちの兄の信重が可愛がってもらっていたので、たとえば関西で新作能をする時に人を集めてくれという時によく僕も呼ばれたんです。

 それで海外公演も六郎先生と 2 回程行きましたし。

 『不知火』もね、地謡で出てますもんね。はい、出ていました。

 それで六郎先生は、昔の地謡は、今はもうやる時には全部無本なんですけどね、僕らが參加してた時には本を見てられていたのです。

 それで、先生が新作能やからたまに謡が分からなくなったりすることがあるのです。

 その時の sign があって、左手をこうするんです。

 右は色々とこうすることがあるけれど、左を動かすということはないから、左をこうしたら誰かつけてねということだった。

 そして誰かつけて、こう「ひそひそ」と言う。うん「ひそひそ」と。

 そうですか。いずれにせよ、そういうことがつい最近あって、非常に。

 この前、ちょっと前に France に行かはったのと違うかな。

 France で『清経』の能を舞って、その立派な show を。

 それをね、梅原先生に、ご霊前にお見せしましたよ。ああ。

 『清経』を舞われたけれど、腰が悪いから、杖を突いて舞わはったそうですよ。

 その時に、今の九郎右衛(wèi)門先生も手伝いに行ってはるのですよ。

 うん。

 それで梅原家で、梅原さんのご霊前で、『世阿彌』だったか何かを舞いたいと。ああ。

 『世阿彌』という曲を梅原さんが作らはって、六郎先生が舞ってはったのです。

 今年、秋にですね、再演するらしいのですよ。ああ、そうですか。

 総口語訳で、全部口語でやって。

 それを梅原家でですね、何の曲になるか分からないけれど、能を舞いたいと。

 それが天河に伝わっている尉の面の寫しなんです。

 その『世阿彌』に使う、舞いの面やったかな。はい。

 ここの老人蕓の問題については、どういう風に皆さんは考えるでしょうか。

 「橫の聲」と「縦の聲」ってどういう出し方をされるのですか。

 今はね、「橫」とか「縦」とかあまり言わないんですけれども、 「ツヨ吟」という曲と「ヨワ吟」という曲はあるんですけれども、それはもっと時代が下ってからできたらしいので。

 似たような「陰」?「陽」の「強いもの」であれば「弱いもの」であるとか、若いような聲であれば、老いた錆びたような聲であるとか、いずれにせよ対極にある。

 男性的なものであれば女性的なものであるとか、そういうような対極にある聲の出し方っていうことですよね。そうですね。

 「縦の聲」がどちらになるのかどうか、「橫の聲」の方がより女性的なのか。でしょうね。

 「縦の聲」の方が男性的というような。

 「をとめはいくたび」こっちが橫で、縦やったら「高砂やこの浦船に」という感じですね、今で言えば。

 ちょっとまあ女性的と男性的な強い「ツヨ吟」?「ヨワ吟」という言い方を今はしていると。

 老人の演技、舞いがですね、手を少なくするという。

 これは、普遍性があることかどうか、蕓に。

 それと能の中で一番重いというか、難しいというのが老人の曲になって來る訳です。

 『関寺小町』とか『姨捨』とか?!壕病护趣悉猡Wの曲ではないのです。うん。

 そういう特質があります、能のね。

 それは本人が齢をとっているということなのか、役柄上年寄りを演じるということなのか。

 ここは実際の肉體が老いたことを言っているのですよね。

 もちろん。

 40 歳以降。50 歳以降とか。

 それでそれは「序破急」ではないんですね。

 普通は「序破急」だけれども、老人というのは自分が老人と思ってないから、頑張っていくのだけれどもだんだんゆっくりになってきたり。

 あえてそのゆっくりしましょうとかでなくてゆっくりさを。

 ゆっくり、休息とかね、ちょっと休みのところがあったりという。

 あえて少なくするんですよ。手を少なくする訳ですよ。

 だからあの、動きを控えめ、控えめにはするんですよ。

 「老いの身體を活かした表現(xiàn)」ということになりますね。

 というか「老い」は切れ味とか speed を出して、たとえば Hip-hop「クルクル」と回転とかは難しいじゃないですか?!弗啸臁工胜螭?acrobatic なことは出來ないじゃないですか。

 そういうようなことは、もう若者に任せて、そうでないところで味を出すという。

 その老人蕓の「妙味」を「味わい」を顕著にさせていく方法が何であるのか。

 たとえば valley だと何 cm jump できるかというのが重要でしょ。

 若い時はですね。歳が行っても。

 いやいや ballerina もやっぱし 60 代まで舞っていて、valley で 17 歳の時點でやるんですよ。

 あと目が見えなくなってやるんですけれども、かなり控えめで美しくて、若いですよ。

 でもそれは今になって、今、現(xiàn)代ではないですか。

 それ以前ね、今、現(xiàn)代の舞踴の世界ね、classic valley の世界はそうなってきたのかもしれないけれど、やっぱり prima donna にしても 30 歳代とか限界はね。もう 40 過ぎると。

 もう低年齢化ですね、ballerina も。

 低年齢化、長く続く人が出て來たということですよね。

 だから以前はやっぱり早かったんじゃないですか。

 いや、でも私が學生の頃でも、結構 60 代の ballerina の人はいました。そう。

 そういう人達は jump は衰えると思うけど。

 Jump は出さないです。

 何ともちょっとした所作が品が良いというか、いるだけで綺麗なんですけれど、若い役をしたりとか。

 そうですか、それはちょっと聞いているのと違うな。

 西洋の dance では「老い」という風なものが、マイナスになる。

 なのでその「若さ」という風なものが中心なので、「老い」?「老いる身體」というものを除外視するというか、「老い」の今は衣裝もそうですよね。うん。

 全て、そうですよね、若い人用になっていますよね。うん。

 若い人用に老いたる「老體」が若い人の踴りを控えめにというか、動きを少なめに踴るという形。

 そうですね。

 たしかに日本のような「翁」という形はない。

 「老い」というもの自體が神に近くなってくるという考え方ですね、世阿彌の。

 「老い」の演目という風なものが、classic valley の世界にはあるのかどうか。

 日本は「老い」の演目はある訳ですね、初めから「老體」というものを非常に重要視して能なんかしているし、それから神楽の中にも、神様が老體で出て來るというのがやっぱりある訳ですね。

 そういう意味でも老體を演劇の中でも、演劇か舞踴の中に曲として、表現(xiàn)として取り込んでいるかどうかですね。

 基本的に Fairy tale から始まっているので、だいたい寫し取ってもこの世にない、この世にいない妖精をやっている人達。

 それはちょっと若いよね、永遠の少年や少女。

 Peter Pan みたいな。

 歳取っている「何とかのお婆ちゃん」みたいにちょっと意地悪な役で出て來ている、演劇的に。

 でもそれは舞踴の世界ではある。

 老婆の魔女役みたいな。

 もう魔女役は定番で出てきます。

 じゃあ、舞踴の中には魔女役は出て來る。

 ありますね。

 Classic のどういう曲ですか。

 じゃあ、主人公、シテになることはないけれど、prima になることはないけれども、ワキとして老いたる魔女とかが出て來る。悪い役として出て來る。

 そこが大きな違いかもしれません。

 「眠れる森の美女」とかで魔女たちというと白髪のお婆ちゃま役が杖付いて出てきたりします。

 それは Shakespeare にも出てきますもんね。

 やっぱり醜いものとして、捉えている感じがするんです。

 魔女とか老叟というか。

 『Macbeth』の中にも出てきますもんね。

 森下洋子さんは 70 歳を過ぎても ballerina をやっている。

 回転數(shù)も振りも全然減らしてだと、観てないですけれども、 だから基本的にそれは無理がある。

 Model が 20 代、30 代、40 代くらいの若い人が prima を。

 役自體が若い。主人公が。

 『白鳥』もそうですよね。そうですね。

 『白鳥』にも魔女が出て來るんですけれど、魔法にかけちゃう。

 あれも、意地悪なお婆さん的な感じ。うん。

 そういうような役割として、老女が出て來る。

 老男は出てきますか。

 大體、KING で出て來る。「王様」で。

 風格があって。

 男性の ballerina でそれをやる訳ですね。

 でも大體青年が主人公ですね。

 男性だと『Spartacus』とか奴隷を解放したとか、英雄とかが大體主人公で。

 じゃあ、能のような老いが。

 能でも不思議なことが、最奧の曲は夢幻能の曲はまずないんです。現(xiàn)在進行形で『関寺小町』もそうだし、今生きている人間が歳をとったというものだから、夢幻能で老人の曲はないのです。

 そうですか、でもシテで後シテで老體で出て來るのはあるんじゃないですか。

 いや『卒塔婆小町』も『関寺小町』も『鸚鵡小町』も全部、現(xiàn)在進行形ですし、『姨捨』はそうかな。

 それで男の最奧の曲の『木賊』というのも、生きている男ですし。

 でも前シテで老體で出て來るというのもありますよね。

 複式夢幻能で。はい。

 それは 2 patterns あって、1 つは神さんの化身というので老人になっているのと実際お爺さんというのとの patterns の 2 種類がある。はい、そうですね。

 でもそれは何らかの形で出ているじゃないですか。はい。

 だから複式夢幻能だから、シテが老體がないという訳ではないでしょ。そうですね。

 まぁ今の 2 patterns があったとして。

 2 2 、「しかれば、當流に、萬能一徳の一 句あり。」 (24 34 頁 頁 5 5 行目~2 25 35 頁 頁 1 12 2 行目) )

  この「萬能一徳の一句」「初心忘るべからず?!工?3 つの理想というのか、3 つの基準があるというところが、ここでの 1 番の point なんですが、これは我々が最初に考えている初心と隨分違うんじゃないですか。普通に理解して。

 普通、初心てどういう風に理解していますか。

 ここでいう「初心忘るべからず?!埂甘欠扦纬跣耐毪伽椁??!工趣いΔ韦掀胀ㄒ话悚恕赋跣耐毪伽椁骸!工趣い斫猡趣线`うでしょう。

 何か新しいことをした時の、最初の頃を初心かなと。

 だからそれは、positive ですよね。今の我々が一般に使っているのは。

 「初心忘るべからず?!工趣いΔ韦弦环畛酩渭兓偀o垢なその気持ちを忘れてはならないみたいな感じで言っていますよね。

 でも世阿彌が言っているのは違いますよね、ここで言っているのは。

 最後の方の「現(xiàn)在も一つの初心なのだという自覚を失ったら」とか。

 だから初心に帰れというものではないという。

 初心に帰ればよいということではない。

 初心に帰るということは、退化することだ。だから初心は自分の未熟さの識別であって。

 素人になるなということですかね、書いてあるのは。

 よく今、結婚式で言われるのは、出會った頃の初々しい気持ちを忘れるなということなんですけど、世阿彌が言うているのはそれが體得できなかった技術論のことなんですよ。

 その蕓が出來なかった自分の事を忘れるなということ。

 つまり未熟さですね。うん。

 この自分の至らなさ、未熟さ。

 こういう口惜しさみたいなもの。

 反省ですね。

 「あー、駄目だな俺?!工趣いκ·趣いΔ?。

 普通、初心というのは最初の純粋な pure なものとして今我々は大體使っている訳ですよね。

 だからその初心に立ち返って、この一番最初の純粋無垢な狀態(tài)に立ち返って、子どものような狀態(tài)でreset できるというようなそういうのが一般的に流布しているね、初心論だと思うんですね。

 そうじゃなくて、ここでは、最初自分が出來なかった。

 向上の過程の中にある初心だと。

 出來ない時を忘れるなということですか。出來てからも。

 そうですね。

 前の未熟さを忘れちゃいけない。

 初心時代に未熟である。

 だから「初心」。

 その自分の未熟さを忘れないならば、常に磨いて、その未熟である自分を超えて行こうと。向上していこうという。

 そして今もまた未熟さがあるんだという自覚があって、この初心とは未熟さの自覚という。是非の。

 特に「非(否)」ですね。大事なのは。

 初心の中にある否定性。自分は駄目だという未熟さがあるという。

 「是」というのは、それを乗り越えていくことが出來るということですよね。

 だから自分の、まぁ、「無知の知」ですよ。

 Socrates の言う、「ああ、自分は無知だ。」?「自分は未熟だ?!工?。

 未熟だからこそ、無知だからこそ、本當の知に至ることが出來る。伸びていくことが出來る。真理に至れる。だから、その未熟な初心であるが故に、熟していくことが出來るという。その熟すためにも、未熟な初心を忘れてはならないという。

 これは今、我々がですね、使わない用法の初心論だということに注意するということがここで必要なことで、そういう若い人たちは自分が出來なかったあの初心。

 「甲子園で三振してしまった?!工趣?。

 「knockout されてしまった。」という。

 學生の前で 1 言も上手く説明が出來なかったというそういう先生としての自分の未熟なものとか、そういうようなことを絶対に忘れないで、その後の修練を積み重ねていきなさいよという。

 そうした時に、自分がどういう風に成長しているかというのが、能役者として育ってきているかというのを、その是否の基準をいつも持って取り組んでいくことが出來る。

 自分が後退することはそれによってないと。

 初心を忘れなければ、後退することはない。

 常に先へその先へという風に、向き合っているという風になる。

 自分の出來なさというものを自覚するで止まらないために、それがマイナスになって止まってしまわないために自覚、それを是否のことに持って行くためには何が、どんな感覚が必要なんですか。

 それを言葉で學ぶのではなく、実踐でそれをやるしかない訳ですよ。

 常に磨いていくということは。それは稽古であり、蕓の進歩、実踐ということになるでしょうね。

 それで、この場合は、上の本文のですね、「前々の非を知るを、後々の是とする?!?「先車の覆す所、後車の戒め」という風に。

 ここの口語訳を見るとね、「前の非を知るのは、後の是を得るゆえんだ。」、「前車の覆るのは後車の戒め?!埂¥坤轳j目だということをまず認識しないと、出発しないということですね。

 そこで止まるとすごく negative になってしまう。

 問題はそこから先をどう create するのかということになりますよね、常に。

 だから修行者は。修行者はそうじゃないですか。

 Athlete だってなんでもそうでしょう。

 「あー、今日も駄目だった?!工趣い?。

 じゃあ、どこが駄目で、10 秒 5 が 10 秒 4 にできないのかといったら、form の 1 つか start か、或いは回転の腕か、歩幅なのかということを工夫する訳じゃないですか。

 そして、色んなことを試してみる訳ですよね。

 そして time を 10 秒 5 から 10 秒 4 にできる時に、その前の段階から工夫して様々な実験を済ませて、できたその感覚を「あぁ、前と違うところはここだ?!工趣いψ砸櫎ⅳ欷小ⅳ饯未韦位鶞胜摔胜辘蓼工?/p>

 ね?!甘恰工摔胜辘蓼工瑜汀?/p>

 だから、Figure にしてもそうじゃないですか。

 私、今でもバク転をやりますからね。

 うまく出來る時があるんですよ。前より。

 危ない時は、あまり力を入れてやると駄目だと思うんですね。

 だから力を入れないで「すっ」とこういった時に、何かとかね。

 その自分の是否の基準。

 それでやっぱり重くて鈍い時には危ないんですよ。

 だからそうならないように、どうすれば良いのかというようなことを常に工夫しなきゃいけないし、常に身體の動きもですね、日々変わるのでやっぱり考えなきゃいけないんですよ。

 それで check しなきゃいけない訳ですよ。

 そういうことを怠って、いつもできているように思ってしまうと、実は退化しているということ。

 バク転なんかは危ないので、失敗すればすぐ分かる訳ですよね。

 手を折りそうになるだとか、頭を「ごちん」とぶつけそうになるだとか、という風になるからすぐ分かる訳じゃないですか。うん。

 痛みが走る訳だから。だから痛みのない「すっ」とこうね、できる狀態(tài)で、軽々と出來るという。

 それ凄い。

 これをやっぱり目指す訳ですよ。

 「ちらちらちら」っとなることはないんですか。

 頭を「ごちん」といった時には目の前に星が「ちらちらちら」っと出ますね。

 一種の貧血っぽいようなね「きゅっ」と動いた後で「くるっ」と回ってその後で「ぱっ」と起きたりすると、貧血っぽいような一瞬立ち眩みみたいなことも。

 それもないことはないけれど、ずっとやっているからそんなことは殆どありません。

 でも、問題はその前の段階の自分の未熟さが分かっていないと、上手く行けるか、上手く行っているということもはっきりと自分で基準が摑めないという。こういうのをメタ認知と。

 メタ認知的な問題ですね。

 この間の、たとえば、自分の內面に何があるかというのは、自覚できないから病になるんだと思うんです。自覚をしていれば、メタ認知機能があれば、stopper がかかるかなという感じて、これもまた同じ失敗をしてしまったって駄目な訳ですよね。うん。

 いつも駄目な自分というのがいて、それをこう見ているものなのか、駄目だということを認識して「あっ、また駄目だ。」というそれにならないための戒めなんですかね。

 どこがどういう風に駄目なのかということをちゃんと check できないといけないし、どうしたらそこを直せるかということも論理的に考えれば道筋は分かる訳で。失敗の原因が分かれば、それを改善する論理はある訳だから。改善する論理があっても、実踐できなければ意味が無いので。じゃあそれを実踐するためにはどうすれば良いのかということになります。

 だから上手く行かない時には、何が上手く行かないのか、論理なのか調子なのか。

 活舌なのか、明晰に説明をしていく時の説明の仕方なのかとか。

 あるいは材料を自分で咀嚼していないから、自信を持って言えないのかとか。

 色んな原因がそれぞれあるじゃないですか。條件みたいなもの。

 きちんと check できなければ、改善することができない。

 だから、微細な部分が分からなければ改善できませんよね。

 どこがおかしいのか、という。

 どこがおかしいのかということを check するためにはメタ認知的な何か自分を客観視する視點が無ければいけないし、coach がいたら伸びるというのはその辺ですよね。言ってくれる。

 つまり、coach がメタ認知的な機能を果たしてくれる訳ですよ。

 自分 1 人でメタ認知的に check するのは、そう簡単ではない。

 メタ認知は催眠とは違うのですか。

 まぁ、ある種、似ていますよね。

 でも自分も理解できる訳だから、私自身も自分をメタ認知できないはずがないですよね。

 自己催眠だってしなきゃいけない訳ですから。

 最終的には全部自分の中で feedback できなきゃいけないし、他者もそれを feedback する関係を持たなきゃいけないと思うんですよ。そして、そうでないと、よくならないし人に教えることも出來ない。

 まぁメタ認知の問題というのは、ある意味で初心をね、否定形の初心を positive に肯定形に変えていく機會を學ぶということですよね。メタ認知を持って。

 3 3 、「一、時事の初心を忘るべからず」とは以下( (6 236 頁 頁 2 2 行目~2 27 37 頁 頁 1 10 0 行目) )

  ここの「是非の初心」というのはですね、良い悪いというか出來の良い悪いという否定形を持った、だから是非の非は否定性ですね。是が肯定性ですね。

 だからその出來ないという否定性の初心を絶対に忘れるなよということと、その次は別に否定性ではなく、その時期の初心。

 それぞれの時期におけるそれぞれのその時の段階というのか。

 そして老年になったら、老後の初心という風なものを是非の非ではなくて是非という基準の観點ではなくて process の時期をちゃんと忘れてはならないということですね。

 それは良い悪いを超えてですね。

 良い悪いという判斷基準を持って見るのではなく、それぞれのその時期の初心という風なものを忘れてしまうと流されてしまうというか。結局、自然體のように見えて、自分が成長していない。

 何時まで経っても、昔と同じだ。Mannerism みたいなねことになっているので成長もなければ、退歩はあってもですね。退化はあっても成長はないということになる。

 そして一番重要な、40 歳以降、50 歳以降ですね。

 老後の初心を忘れてはならない。

 老後の初心を忘れてはならないというのは、人間は、老人になって死んでいく。

 命には終わりがあるけれども、能はですね、能の蕓を磨く道には果てしはないんだと。

 終わりはないと。

 どこまで行っても初心をさらに次の初心へつないでいくことができる。

 では、その老後の初心というのは、老後の風體に似合うというか相応した形を習って、それを実現(xiàn)しな

 ければならない。

 その時に相応しい、その年齢に相応しい能蕓を究める。

 こういうことを老後の初心として、実現(xiàn)できなければならない。

 ではそれは一體どういう方法論かというと「しないでする」というあり方だと。

 そういう「しないでする」という振る舞いというか能の表現(xiàn)に至った時に名人的な境地というものに近付いて、能の極まりのない道のある奧義というものを體現(xiàn)していくことが出來る。

 蕓は向上して極まりが無いんだけれど、その極まりのなさをその都度その都度、表現(xiàn)することができると。

 蕓の goal というものはない形で、奧が深いなというのを見せながら、生涯を送ることが出來る。

 最晩年までそういう風な蕓境を示すことが出來た人って、河村さん、見たことありますか。

 この 50 以降というのは、今の年齢で言うたら、70 以降みたいな感じですけれどね、1 つは。

 人間 50 年の時の 50 やから。

 だから 70 歳、80 歳になっても能を舞っている先生方も結構いはりますし。

 幽雪先生もそうでしたし。なかなか難しいことですが。

 だからその年齢になったら「型」というよりも「心」が重要になって、「心」を沢山。

 その辺りね、私は簡単ではないと思っているんですけれども、大野一雄という舞踏家のね、100 歳を超えても dance をしていた大野一雄のこと。

 それから、幽雪さんの白式神神楽を観た時に私はかなり辛辣な批評をしたと思うんですけど、それはもう引退した方が良いんじゃないかみたいな。

 この辺り、そんなに、簡単じゃないように思うんですね。

 最後の最後まで、深いものを體現(xiàn)することって限界はやっぱりあるんじゃないかと思うんですよね。

 身體的な。

 今は 84、85 歳でも舞っ...

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